2013年11月10日
善人はなぜ・・・
善人きなぜまわりの人を不幸にするのかを読んで・・・
平和は善人の間には生まれない、と或るカトリックの司祭が説教の時に語った。
しかし悪人の間には平和が可能だという。それは人間が自分の中に十分に悪の部分を認識した時だけ、
謙虚にもなり、相手の心も読め、用心をし、簡単には怒らずとがめず、結果として辛うじて平和が保たれる、
という図式になるからだろう。
つまり、そのような不純さの中で、初めて人間は幼児ではなく、真の大人になるのだが、
日本はそういう教育を全く行ってこなかったのである。
「清く、正しく、美しいことを全面に出しまくる人」って、付き合いづらくないですか?
そういう人ってその裏に、「すんごい凶暴な何か」を感じたりします。
しかもそれは「清く、正しく、美しい正義」を根拠にしてたりするから、タチ悪いこと山の如し。
「原罪」っていう概念はあまり好きではなく、余計な罪悪感を持たせるだけなんじゃないの?
って思うのですが、「人間、誰も、大して偉くもないし、絶対的に正しいわけでもない。
完全に神聖であることなんて不可能なんだから、お前ら、勘違いすんなよ。」的な
「ちょい悪」意識は持っていた方が良いのかもしれませんね。
「あいつは悪だけど、俺も悪。今はとりあえず悪いことはしてないけれど、いつそっちに転ぶかはわからん。」
ってくらいの意識を持てていれば、「善意の強制」や、「優しさの押しつけ」を控えることも出来る。
時と場合と人によっちゃあ、善意と悪意の行動が生む結果が逆転したりもするので、
その辺を深めに考えてみるのもたまには必要だったりするのかもしれません。
わかりやすい
平和は善人の間には生まれない、と或るカトリックの司祭が説教の時に語った。
しかし悪人の間には平和が可能だという。それは人間が自分の中に十分に悪の部分を認識した時だけ、
謙虚にもなり、相手の心も読め、用心をし、簡単には怒らずとがめず、結果として辛うじて平和が保たれる、
という図式になるからだろう。
つまり、そのような不純さの中で、初めて人間は幼児ではなく、真の大人になるのだが、
日本はそういう教育を全く行ってこなかったのである。
「清く、正しく、美しいことを全面に出しまくる人」って、付き合いづらくないですか?
そういう人ってその裏に、「すんごい凶暴な何か」を感じたりします。
しかもそれは「清く、正しく、美しい正義」を根拠にしてたりするから、タチ悪いこと山の如し。
「原罪」っていう概念はあまり好きではなく、余計な罪悪感を持たせるだけなんじゃないの?
って思うのですが、「人間、誰も、大して偉くもないし、絶対的に正しいわけでもない。
完全に神聖であることなんて不可能なんだから、お前ら、勘違いすんなよ。」的な
「ちょい悪」意識は持っていた方が良いのかもしれませんね。
「あいつは悪だけど、俺も悪。今はとりあえず悪いことはしてないけれど、いつそっちに転ぶかはわからん。」
ってくらいの意識を持てていれば、「善意の強制」や、「優しさの押しつけ」を控えることも出来る。
時と場合と人によっちゃあ、善意と悪意の行動が生む結果が逆転したりもするので、
その辺を深めに考えてみるのもたまには必要だったりするのかもしれません。
わかりやすい

Posted by おかっち at 09:12│Comments(0)
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