2015年10月02日
相手チームさんの目線^^
こないだユーチューブで見つけたスライドショー
今年の阪神あわじ大会準決勝で
我らが紀州ボーイズと対戦したチームの保護者さんが作成したスライドショー
選手1人1人を主役と考えた時
何十種類ものドラマができるわけで
おかっちが大会のスライドショーを作成するのはもちろん自チームのスライドショーばかりですが
こうして相手チーム目線からのスライドショーを見せていただくと
色んなアングルがあって凄く刺激になりましたし
素晴らしい作品でした
今年の阪神あわじ大会準決勝で
我らが紀州ボーイズと対戦したチームの保護者さんが作成したスライドショー
選手1人1人を主役と考えた時
何十種類ものドラマができるわけで
おかっちが大会のスライドショーを作成するのはもちろん自チームのスライドショーばかりですが
こうして相手チーム目線からのスライドショーを見せていただくと
色んなアングルがあって凄く刺激になりましたし
素晴らしい作品でした
2015年10月02日
意識
いつも何かに文句を言っている人がいます。
不平不満、グチ泣き言……そういうことを聞かされる周りの人は、決していい気持ちはしないだろう。
そういう人の周りにいる時、自分を強く持たないと安易に自分も同化させられてしまうものだ。
「類は類を呼ぶ」と言われるが、愚痴っぽい人の周りにはそういう人が集まってくるものだ。
常に、周りへの不平不満を言い合って、お互いの傷をなめ合うことでお互いの心のバランスを保っているのだ。
そういう人にとって、不平不満や愚痴泣き言を言わない人を見ると、無意識の部分で、
自分のことを責められているように感じて、今度はそういう人を攻撃の対象にしてしまいがちだ。
自分の周りを見渡して、「なんで自分の周りにはマイナス思考の人が多いのだろう?!」と感じるのなら、
まずは「自分がマイナス思考なのではないか?」と振り返ってみるべきなのだ。
ビジネスで成功する人の共通項として「何が起きても自己責任と考える!!」ということがよく言われている。
「自己責任」と考えれば、自分で解決策を考えられる。そう考えていくうちにいろんなアイデアも浮かんでくるもので、
「自己責任」という姿勢で生き続けることで多くのアイデアが蓄積されてくるのだ。それ以上に、
「自己責任」と考えることで、誰かに八つ当たりしたり、怒りという悪魔を近づけなくて済むのだ。
一方、何でもかんでも他人や環境のせいにしている人は、常に「自分は正しい」
「間違っているのは他人や環境だ」という視点で、自分は変わる必要もないし、ただ運が悪かっただけだ、
次は(自分に都合の)いいことが起こるに違いない、と考え、常に自分の気持ちは乱れ続け、怒り、不平不満
などの悪魔と共存して、次の不幸を自分で手繰り寄せていることに気が付いていないのだ。
そういう人は「なんで自分ばっかりこんな目に……」「自分だけがこんなに頑張っているのに……」etc
常に自分を被害者にまつりたてて自分を慰めているのだが、それで一瞬はすっきりしても、
継続的には「不幸の未来に一直線」なことに早く気が付くべきなのだ。
現実には「何が起きても自己責任」なんてことは、神様でなければできないことかもしれない。
しかし、自分の中でそういう気持ちで物事を見ていきたい、受け入れていきたい、
と考えながら生活している人と、いいことが起きた時だけ感謝して、
人生の大半では文句ばっかり言っていたのでは、その後の人生に大きな開きが出て当然ではないだろうか。
知人で、交通事故で車いす生活になったことでさえ、「この事故は神様からの最大のプレゼントだった」と
人生を受け入れている人がいます。
世間的に考えれば、「最悪」と考えてしまうことでさえ、「神様からのプレゼント」だと考える人がいる一方で、
どこから見ても恵まれすぎているという環境においてさえ不平不満を言い続ける人もいます。
「人の振り見て我が振り直せ」ではないですが、そういう不平不満が日常の人を見ながら、
「自分も同じ過ちを犯していないだろうか?!」と反省し、自分はそういう後ろ向きな人に
感化されないかどうかを神様から試されているのかもしれない、
と周りに流されないような生き方をしていかなければいけないと思います。
人間以外でもニュースや活字においても、前向きな内容よりも後ろ向きな内容の方が人の心に同化しやすいものです。
今の社会は、ある意味、不平不満や文句を言いたくなればいくらでもそのきっかけはあふれています。
そんな社会の中で、マイナスの情報に流されない自分を維持することは容易なことではないかもしれません。
だからこそ、「何が起きても自己責任」という姿勢で生きる覚悟が大切なのかもしれません。
「そんなのは理想論だ」とかたずけないで、理想を目指して生きることが大切なのだと思います。
後ろ向きなのは無意識の自分、前向きになるのは意識した自分。
無意識で生きれば、人生は辛い事ばかりですが、
意識的に生きていけば人生は捨てたものではない。
不平不満、グチ泣き言……そういうことを聞かされる周りの人は、決していい気持ちはしないだろう。
そういう人の周りにいる時、自分を強く持たないと安易に自分も同化させられてしまうものだ。
「類は類を呼ぶ」と言われるが、愚痴っぽい人の周りにはそういう人が集まってくるものだ。
常に、周りへの不平不満を言い合って、お互いの傷をなめ合うことでお互いの心のバランスを保っているのだ。
そういう人にとって、不平不満や愚痴泣き言を言わない人を見ると、無意識の部分で、
自分のことを責められているように感じて、今度はそういう人を攻撃の対象にしてしまいがちだ。
自分の周りを見渡して、「なんで自分の周りにはマイナス思考の人が多いのだろう?!」と感じるのなら、
まずは「自分がマイナス思考なのではないか?」と振り返ってみるべきなのだ。
ビジネスで成功する人の共通項として「何が起きても自己責任と考える!!」ということがよく言われている。
「自己責任」と考えれば、自分で解決策を考えられる。そう考えていくうちにいろんなアイデアも浮かんでくるもので、
「自己責任」という姿勢で生き続けることで多くのアイデアが蓄積されてくるのだ。それ以上に、
「自己責任」と考えることで、誰かに八つ当たりしたり、怒りという悪魔を近づけなくて済むのだ。
一方、何でもかんでも他人や環境のせいにしている人は、常に「自分は正しい」
「間違っているのは他人や環境だ」という視点で、自分は変わる必要もないし、ただ運が悪かっただけだ、
次は(自分に都合の)いいことが起こるに違いない、と考え、常に自分の気持ちは乱れ続け、怒り、不平不満
などの悪魔と共存して、次の不幸を自分で手繰り寄せていることに気が付いていないのだ。
そういう人は「なんで自分ばっかりこんな目に……」「自分だけがこんなに頑張っているのに……」etc
常に自分を被害者にまつりたてて自分を慰めているのだが、それで一瞬はすっきりしても、
継続的には「不幸の未来に一直線」なことに早く気が付くべきなのだ。
現実には「何が起きても自己責任」なんてことは、神様でなければできないことかもしれない。
しかし、自分の中でそういう気持ちで物事を見ていきたい、受け入れていきたい、
と考えながら生活している人と、いいことが起きた時だけ感謝して、
人生の大半では文句ばっかり言っていたのでは、その後の人生に大きな開きが出て当然ではないだろうか。
知人で、交通事故で車いす生活になったことでさえ、「この事故は神様からの最大のプレゼントだった」と
人生を受け入れている人がいます。
世間的に考えれば、「最悪」と考えてしまうことでさえ、「神様からのプレゼント」だと考える人がいる一方で、
どこから見ても恵まれすぎているという環境においてさえ不平不満を言い続ける人もいます。
「人の振り見て我が振り直せ」ではないですが、そういう不平不満が日常の人を見ながら、
「自分も同じ過ちを犯していないだろうか?!」と反省し、自分はそういう後ろ向きな人に
感化されないかどうかを神様から試されているのかもしれない、
と周りに流されないような生き方をしていかなければいけないと思います。
人間以外でもニュースや活字においても、前向きな内容よりも後ろ向きな内容の方が人の心に同化しやすいものです。
今の社会は、ある意味、不平不満や文句を言いたくなればいくらでもそのきっかけはあふれています。
そんな社会の中で、マイナスの情報に流されない自分を維持することは容易なことではないかもしれません。
だからこそ、「何が起きても自己責任」という姿勢で生きる覚悟が大切なのかもしれません。
「そんなのは理想論だ」とかたずけないで、理想を目指して生きることが大切なのだと思います。
後ろ向きなのは無意識の自分、前向きになるのは意識した自分。
無意識で生きれば、人生は辛い事ばかりですが、
意識的に生きていけば人生は捨てたものではない。