2015年05月24日
ピン・・ポ・・パ
そう
それは2週間前
我らが貴志川ウインズB軍は
那賀支部夏季大会にエントリーし
1日で1回戦・2回戦を突破と言う快挙を成し遂げ
その夜
ちょっと会長と行ったんやけど
会長が『おかっち~もうよぅ~ウインズピンポンパンちゅうの書くのやめやんかぁ~』ちゅうんで
おかっちは『あかんあかんまだまだピンポンパンやれ』
『勝っても負けてももっともっと熱くなる試合するようになったらブログにもピンポンパンて書かんよ』って言うたら
会長『そうかぁ・・・まだあかんかぁ・・・』ちゅうような話をしたわけでございます
ほんで今
準決勝が行われているようです
相手は強豪西貴志ドリームズさん西貴志さんと言えばこないだのマクド県大会で準優勝したチームでござます
その舞台を経験した5年生が数名いる西貴志ドリームズさんB軍との対戦
ウインズのセレブなべっぴんちゃんからウインズライングループに1イニング事に試合の経過がおくられてきてるんやけど
3回終わって
ななななななんと0対0って言うじゃああ~りませんか
今まで1イニング事に連絡して~ちゅうたら30分以上連絡がなかったウインズライン(点の取られすぎなどで・・・)
おかっちね前にブログに
『スコアブックから伝わってくるような試合をせぇ』って書いた事あるけど
ラインから伝わってくるもんがあったれ
勝っても負けても
最後まで気持ちを切らさずにがんばれ~
ほんでピンポンパン卒業やぁ~~
って書きおわったら西貴志さんが1点との連絡が・・・
まだまだ行ける
行け~我らが貴志川ウインズピン・・ポ・・・パ・・
それは2週間前
我らが貴志川ウインズB軍は
那賀支部夏季大会にエントリーし
1日で1回戦・2回戦を突破と言う快挙を成し遂げ
その夜
ちょっと会長と行ったんやけど
会長が『おかっち~もうよぅ~ウインズピンポンパンちゅうの書くのやめやんかぁ~』ちゅうんで
おかっちは『あかんあかんまだまだピンポンパンやれ』
『勝っても負けてももっともっと熱くなる試合するようになったらブログにもピンポンパンて書かんよ』って言うたら
会長『そうかぁ・・・まだあかんかぁ・・・』ちゅうような話をしたわけでございます
ほんで今
準決勝が行われているようです
相手は強豪西貴志ドリームズさん西貴志さんと言えばこないだのマクド県大会で準優勝したチームでござます
その舞台を経験した5年生が数名いる西貴志ドリームズさんB軍との対戦
ウインズのセレブなべっぴんちゃんからウインズライングループに1イニング事に試合の経過がおくられてきてるんやけど
3回終わって
ななななななんと0対0って言うじゃああ~りませんか
今まで1イニング事に連絡して~ちゅうたら30分以上連絡がなかったウインズライン(点の取られすぎなどで・・・)
おかっちね前にブログに
『スコアブックから伝わってくるような試合をせぇ』って書いた事あるけど
ラインから伝わってくるもんがあったれ
勝っても負けても
最後まで気持ちを切らさずにがんばれ~
ほんでピンポンパン卒業やぁ~~
って書きおわったら西貴志さんが1点との連絡が・・・
まだまだ行ける
行け~我らが貴志川ウインズピン・・ポ・・・パ・・
2015年05月24日
四時起きのがっつり二度寝
今日、末っ子ふうたは播磨まで練習試合で遠征です
ママが急に仕事が入り
おかっち四時に起きてふうたをグランドまで
六時に出発しました
ほんで帰ってきてから
7時30分までがっつり二度寝
気持ちえがったぁ~~
さぁ今日1日頑張ったら明日はお休み
ママが急に仕事が入り
おかっち四時に起きてふうたをグランドまで
六時に出発しました
ほんで帰ってきてから
7時30分までがっつり二度寝
気持ちえがったぁ~~
さぁ今日1日頑張ったら明日はお休み
2015年05月24日
会議後に
ゆうべはね
市内某所で
我らが紀州ボーイズの第二回紀州興紀大会の会議でした
1時間30分ほどで会議は終了
ほんで9時頃から晩飯
めっちゃ餃子が食べたい気分だったので岩出の王将へ
さぁ次は6月6日です
市内某所で
我らが紀州ボーイズの第二回紀州興紀大会の会議でした
1時間30分ほどで会議は終了
ほんで9時頃から晩飯
めっちゃ餃子が食べたい気分だったので岩出の王将へ
さぁ次は6月6日です
2015年05月23日
いよいよ明日
いよいよ明日はB級夏季大会準決勝です
我らが貴志川ウインズも明日に備え練習頑張ってました
こないだ入部してくれたばかりのゆう〇
ほんまねぇ
バットもって素振りをずっとしてるんよ
ほんまかえらし
さぁ
おもいっきりなプレイしてきてください
我らが貴志川ウインズも明日に備え練習頑張ってました
こないだ入部してくれたばかりのゆう〇
ほんまねぇ
バットもって素振りをずっとしてるんよ
ほんまかえらし
さぁ
おもいっきりなプレイしてきてください
2015年05月23日
プレミアム商品券
毎年販売されている紀の川市プレミアム商品券
今年は十周年ちゅうことで
毎年一割のプレミアだったのが
今年はなななんと三割のプレミアつき
そう
10万円で13万円分の商品券が買えちゃうのです
今年は五億円の商品券を販売するんやて
もちろん
カットクラブオズ ヘアーズビエイドでも使えます
使用期限と使用加盟店は限られていますが
計画をたてて購入すれば超お得間違いなしです
今年は十周年ちゅうことで
毎年一割のプレミアだったのが
今年はなななんと三割のプレミアつき
そう
10万円で13万円分の商品券が買えちゃうのです
今年は五億円の商品券を販売するんやて
もちろん
カットクラブオズ ヘアーズビエイドでも使えます
使用期限と使用加盟店は限られていますが
計画をたてて購入すれば超お得間違いなしです
2015年05月22日
ニューTシャツ
おかっちの長男(現高3)がウインズに入部したのが約10年前
その時から慣れ親しんできた赤のTシャツが
合併して二年目にリニューアルされる事となりました
赤から紺に一新され
ええ
おかっちも一枚購入
いつかこれを着て県大会の応援に行ける日を楽しみにしてます
その時から慣れ親しんできた赤のTシャツが
合併して二年目にリニューアルされる事となりました
赤から紺に一新され
ええ
おかっちも一枚購入
いつかこれを着て県大会の応援に行ける日を楽しみにしてます
2015年05月22日
2015年05月22日
予約完了~
昨年のね三月に大病して
あの病気をきっかけに
子供三人も大きくなってきたし
近場でええから年に一回は夫婦で旅行したいなぁと
ほんで昨年の夏に淡路島に一泊旅行して
今年もまた予約しちゃいました
また一つ励みができました
がんばろ
あの病気をきっかけに
子供三人も大きくなってきたし
近場でええから年に一回は夫婦で旅行したいなぁと
ほんで昨年の夏に淡路島に一泊旅行して
今年もまた予約しちゃいました
また一つ励みができました
がんばろ
2015年05月21日
はよ言えよwww
昨日学校から帰ってきて
ちょっとしてから『ティーするからほって~』
おかっち『よっしゃ』
ほんであ~じゃない こ~じゃないって言いながら
ほんで暗くなってきてから
『自転車パンクしてるかもわからん』
『はぁはよ言えよ・・・』
空気入れるもチューブ裂けてるし・・・
おそらくパンクってわかってて乗ってきてるし・・・
『もう自転車屋さん終わってるれ』ちゅうたら
『かまわんよ学校へ走って行くから』
この夏、自転車修理せんとずっと走らせといちゃろかえ
ちょっとしてから『ティーするからほって~』
おかっち『よっしゃ』
ほんであ~じゃない こ~じゃないって言いながら
ほんで暗くなってきてから
『自転車パンクしてるかもわからん』
『はぁはよ言えよ・・・』
空気入れるもチューブ裂けてるし・・・
おそらくパンクってわかってて乗ってきてるし・・・
『もう自転車屋さん終わってるれ』ちゅうたら
『かまわんよ学校へ走って行くから』
この夏、自転車修理せんとずっと走らせといちゃろかえ
2015年05月20日
振る舞い
最近、よく感じる事があります
お客様と話してても
野球関係者の方と話してても
保護者の方々と話してても
異性にドキッとするような感覚に近い
『かっこええなぁ~』 『凄いなぁ~』 『素晴らしいなぁ~』って感じる
言動・行動に直面する事があります。
ほんで
そこに共通するのが、そんな人のまわりには
価値観・意識レベルの高い人が集っていると言う事
アホな事ばっかり言うて人を笑かしてばっかりの人でも真がぶれていない人ってやっぱりかっこええ
伝わる=集う=肯定的
この方程式が人間を成長させてくれてるなと
自分=群れる=否定的=居心地が良い
↑ この方程式は居心地はええんよな、一緒に群れてる人の事は言わずに自分に共感してくれる事だけを発言するわけやから
けど、そこに自分がいないときに何を言われてるかわからんから常にそこに群れようとする
これもまた人生
ただ、自分が境地にたたされた時
誰もそばにはおらんような気がする・・・んよ・・・
おかっちの結婚式の時に仲人が言ってくれた言葉
心って言う字は丸い
丸いからコロコロコロコロ転がる
その心と言う字にクサビを打つと
必ずと言う字になる
今があるのは今まで自分と付き合ってきてくれた人との関係があったからこそ
環境が変わっても
そこに感謝して人生を全うする事によってより良い未来が開けるんやろなと
ブレブレのおかっちはゆうべも寝る前に考えたのでありました
お客様と話してても
野球関係者の方と話してても
保護者の方々と話してても
異性にドキッとするような感覚に近い
『かっこええなぁ~』 『凄いなぁ~』 『素晴らしいなぁ~』って感じる
言動・行動に直面する事があります。
ほんで
そこに共通するのが、そんな人のまわりには
価値観・意識レベルの高い人が集っていると言う事
アホな事ばっかり言うて人を笑かしてばっかりの人でも真がぶれていない人ってやっぱりかっこええ
伝わる=集う=肯定的
この方程式が人間を成長させてくれてるなと
自分=群れる=否定的=居心地が良い
↑ この方程式は居心地はええんよな、一緒に群れてる人の事は言わずに自分に共感してくれる事だけを発言するわけやから
けど、そこに自分がいないときに何を言われてるかわからんから常にそこに群れようとする
これもまた人生
ただ、自分が境地にたたされた時
誰もそばにはおらんような気がする・・・んよ・・・
おかっちの結婚式の時に仲人が言ってくれた言葉
心って言う字は丸い
丸いからコロコロコロコロ転がる
その心と言う字にクサビを打つと
必ずと言う字になる
今があるのは今まで自分と付き合ってきてくれた人との関係があったからこそ
環境が変わっても
そこに感謝して人生を全うする事によってより良い未来が開けるんやろなと
ブレブレのおかっちはゆうべも寝る前に考えたのでありました
2015年05月20日
2015年05月19日
2015年05月19日
感動しました
甲子園でサヨナラボーク…宣告した審判の心中 語られなかった敗戦投手への“心配り”
サヨナラボークをジャッジした林清一氏
青春のすべてを甲子園という夢の舞台にかける球児たち。勝負である以上、
どんなプレーにも判定が伴う。大舞台だからこそ、ではなく甲子園に縁のない高校同士の練習試合も、
日本中が注目する場面でも、普遍のジャッジがあってこそ高校野球は成り立つ。
1998年夏の甲子園大会2回戦。豊田大谷と宇部商は延長十五回、
史上初のサヨナラボークによる豊田大谷の勝利という幕切れとなった。
主審を務めた林清一氏(59)に試合を振り返りつつ、高校野球の審判哲学を語っていただいた。
100年の歴史で今のところ唯一のジャッジは、異様な雰囲気の中、
“究極の当然”を求めた結果の産物でもあった。
人によるかもしれない。ただ、林氏は「下調べをしない」をモットーに、ゲームに臨んでいた。
「コントロールがいいとか、三振記録を持っている、という予断が入ると際どい球のジャッジがぶれるかもしれません。
人間には弱さもありますから」
完璧でないことを認め「見たまんまで判断する」。長年、自らに言い聞かせてきたことだった。
第2試合。グラウンドは38度。直後に横浜・松坂大輔(現ソフトバンク)の試合が控えており、
「あの時点で超満員でした」と振り返った。
五回終了時、水を飲んだ。試合は延長へ突入。「水分、差し入れを期待したんですが、来なくてねえ」
と笑うが、その時は笑い事ではなかった。塁審もバテて、打球を追い切れなくなっていた。
しかし「早く決着をつけたい、と思ったら、ジャッジが雑になる」と、必死の判定を続けた。
十五回裏。豊田大谷は無死満塁の絶好機を迎えた。200球を超える球を投げてきた
宇部商のエース・藤田修平はこの場面で、林氏の想定になかった動きをした。
「審判として一番いけないのはビックリすること。そうならないように、
あらゆることを想定するのですがあの時、ボークだけは考えてもなかった」と振り返る。
「ふらふらで、汗もすごい勢いで流れていた」という林主審の眼前で、
プレート板に足をかけた藤田はセットに入ろうとした手を「ストン、と落としたんです」。
林氏は迷わず「ボーク」を宣告、サヨナラゲームとなった。
「5万人のスタンドが一瞬、静まりかえって、そこからざわざわする声に変わりました」とその瞬間を振り返った。
もし藤田が足を外していれば、ボークではない。
「だんだん不安になりました。(ミスなら)やっちゃった、審判人生、終わりだな」とも思った。
もちろん現場やテレビなどを見た同僚、関係者から「間違いなくボークだった」の確認が入った。
それでも直後の会見では、報道陣から「なんであんなところでボークを取るんだ」、
「注意で終わらせられないのか」といったヒステリックな声も飛んできたという。
この場を収めたのは、ベテラン審判員の三宅享次氏。「審判は、ルールの番人です。以上!」と制した。
当時は、四角四面の冷徹なジャッジと感じる向きもあったかもしれない。しかし-。
通常、試合終了時は野手のミットやグラブに送球(投球)や、サヨナラなら打球が収まる。
しかしこの試合は、投手・藤田の手にボールが握られたままだった。
甲子園の、暗黙のルールとして、ウイニングボールは目立たないように、
勝利校の主将にプレゼントされる。が、林氏は2年生投手の藤田が渡そうとしたボールを
「持っておきなさい。そして来年、また甲子園に来なさい」と、受け取らなかった。
勝った豊田大谷にはポケットから出した試合球を手渡した。
試合を2時間以内で終わらせるため、ひっきりなしに選手を急がせ、機械的に判定を下すのが審判員ではない。
とっさに、ウイニングボールを敗戦投手に手渡した林氏。他の試合中にも、さまざまな隠れたやりとりはある。
終盤、つるべ打ちに遭った投手。投球数は増え、何度も三塁、本塁のカバリングに走り肩で息をしている。
本塁付近にいれば「頑張れ」と声をかける。
大敗の終盤、代打に背番号「18」の選手が出てくる。明らかに足が震えている選手も少なくない。
こっそり「深呼吸しなさい」とささやいて、汚れてもいない本塁ベースを掃き、時間を取ってやる。
「甲子園は、誰にとっても一世一代」。少しでもいいプレーをさせてやりたい。
林氏は「そういう時のために、通常は無駄な時間を省いて“貯金”をしておくんです」という。
血の通ったルールの番人があればこそ、甲子園で球児は躍動する。
サヨナラボークをジャッジした林清一氏
青春のすべてを甲子園という夢の舞台にかける球児たち。勝負である以上、
どんなプレーにも判定が伴う。大舞台だからこそ、ではなく甲子園に縁のない高校同士の練習試合も、
日本中が注目する場面でも、普遍のジャッジがあってこそ高校野球は成り立つ。
1998年夏の甲子園大会2回戦。豊田大谷と宇部商は延長十五回、
史上初のサヨナラボークによる豊田大谷の勝利という幕切れとなった。
主審を務めた林清一氏(59)に試合を振り返りつつ、高校野球の審判哲学を語っていただいた。
100年の歴史で今のところ唯一のジャッジは、異様な雰囲気の中、
“究極の当然”を求めた結果の産物でもあった。
人によるかもしれない。ただ、林氏は「下調べをしない」をモットーに、ゲームに臨んでいた。
「コントロールがいいとか、三振記録を持っている、という予断が入ると際どい球のジャッジがぶれるかもしれません。
人間には弱さもありますから」
完璧でないことを認め「見たまんまで判断する」。長年、自らに言い聞かせてきたことだった。
第2試合。グラウンドは38度。直後に横浜・松坂大輔(現ソフトバンク)の試合が控えており、
「あの時点で超満員でした」と振り返った。
五回終了時、水を飲んだ。試合は延長へ突入。「水分、差し入れを期待したんですが、来なくてねえ」
と笑うが、その時は笑い事ではなかった。塁審もバテて、打球を追い切れなくなっていた。
しかし「早く決着をつけたい、と思ったら、ジャッジが雑になる」と、必死の判定を続けた。
十五回裏。豊田大谷は無死満塁の絶好機を迎えた。200球を超える球を投げてきた
宇部商のエース・藤田修平はこの場面で、林氏の想定になかった動きをした。
「審判として一番いけないのはビックリすること。そうならないように、
あらゆることを想定するのですがあの時、ボークだけは考えてもなかった」と振り返る。
「ふらふらで、汗もすごい勢いで流れていた」という林主審の眼前で、
プレート板に足をかけた藤田はセットに入ろうとした手を「ストン、と落としたんです」。
林氏は迷わず「ボーク」を宣告、サヨナラゲームとなった。
「5万人のスタンドが一瞬、静まりかえって、そこからざわざわする声に変わりました」とその瞬間を振り返った。
もし藤田が足を外していれば、ボークではない。
「だんだん不安になりました。(ミスなら)やっちゃった、審判人生、終わりだな」とも思った。
もちろん現場やテレビなどを見た同僚、関係者から「間違いなくボークだった」の確認が入った。
それでも直後の会見では、報道陣から「なんであんなところでボークを取るんだ」、
「注意で終わらせられないのか」といったヒステリックな声も飛んできたという。
この場を収めたのは、ベテラン審判員の三宅享次氏。「審判は、ルールの番人です。以上!」と制した。
当時は、四角四面の冷徹なジャッジと感じる向きもあったかもしれない。しかし-。
通常、試合終了時は野手のミットやグラブに送球(投球)や、サヨナラなら打球が収まる。
しかしこの試合は、投手・藤田の手にボールが握られたままだった。
甲子園の、暗黙のルールとして、ウイニングボールは目立たないように、
勝利校の主将にプレゼントされる。が、林氏は2年生投手の藤田が渡そうとしたボールを
「持っておきなさい。そして来年、また甲子園に来なさい」と、受け取らなかった。
勝った豊田大谷にはポケットから出した試合球を手渡した。
試合を2時間以内で終わらせるため、ひっきりなしに選手を急がせ、機械的に判定を下すのが審判員ではない。
とっさに、ウイニングボールを敗戦投手に手渡した林氏。他の試合中にも、さまざまな隠れたやりとりはある。
終盤、つるべ打ちに遭った投手。投球数は増え、何度も三塁、本塁のカバリングに走り肩で息をしている。
本塁付近にいれば「頑張れ」と声をかける。
大敗の終盤、代打に背番号「18」の選手が出てくる。明らかに足が震えている選手も少なくない。
こっそり「深呼吸しなさい」とささやいて、汚れてもいない本塁ベースを掃き、時間を取ってやる。
「甲子園は、誰にとっても一世一代」。少しでもいいプレーをさせてやりたい。
林氏は「そういう時のために、通常は無駄な時間を省いて“貯金”をしておくんです」という。
血の通ったルールの番人があればこそ、甲子園で球児は躍動する。
2015年05月19日
協賛
お~~~っと
ブログアップが昼からに・・・
連休明けで朝から仕事忙して
それと我らが紀州ボーイズが開催する
紀州興紀大会の冊子広告の作成と会計書類の確認と作成を合間合間に
ここちよい、おもろ忙しさ
一言で言うたら
生きてる~ちゅう感じやな
しかし
本当に皆様からの協賛金の御寄付に感謝感謝です
おかっちも自分の店の広告をデザインしてみました
計四軒ぶん22の広告を作成~~
さぁ土曜日まであとちょっと
がんばろ
ブログアップが昼からに・・・
連休明けで朝から仕事忙して
それと我らが紀州ボーイズが開催する
紀州興紀大会の冊子広告の作成と会計書類の確認と作成を合間合間に
ここちよい、おもろ忙しさ
一言で言うたら
生きてる~ちゅう感じやな
しかし
本当に皆様からの協賛金の御寄付に感謝感謝です
おかっちも自分の店の広告をデザインしてみました
計四軒ぶん22の広告を作成~~
さぁ土曜日まであとちょっと
がんばろ
2015年05月18日
2015年05月18日
グランドからグランドへ
昨日、有田では熱い熱いマクド県大会準決勝・決勝がおこなわれたようですね
そんな中おかっちは
我らが貴志川ウインズが北野上さんと練習試合をするっちゅう事で
小学校へ
久々に審判もさせていただきましたぁ~
ほんで一試合終わって弁当よばれてから田井ノ瀬グランドへ
練習の見学~~~~~
楽しい充実した一日やったんやけどね・・・
免疫ないんで・・・グダグダになって・・・
夜は久々の風呂からの~
そんな中おかっちは
我らが貴志川ウインズが北野上さんと練習試合をするっちゅう事で
小学校へ
久々に審判もさせていただきましたぁ~
ほんで一試合終わって弁当よばれてから田井ノ瀬グランドへ
練習の見学~~~~~
楽しい充実した一日やったんやけどね・・・
免疫ないんで・・・グダグダになって・・・
夜は久々の風呂からの~
2015年05月17日
2015年05月16日
2015年05月15日
2015年05月15日
届きました そして届けます
お客様や近隣住民の皆様のご協力で集めたプルタブ
先日、業者様に買い取っていただき
その収益で車椅子を二台注文
そして、さきほど届きました
この車椅子を紀の川市に寄贈させていただきたいと思います
カットクラブオズ ヘアーズビエイドのプルタブ回収運動で八年で計三台目の車椅子を地元に寄贈できた事に感謝です
皆様に感謝
これからも続けていきたいと思います
先日、業者様に買い取っていただき
その収益で車椅子を二台注文
そして、さきほど届きました
この車椅子を紀の川市に寄贈させていただきたいと思います
カットクラブオズ ヘアーズビエイドのプルタブ回収運動で八年で計三台目の車椅子を地元に寄贈できた事に感謝です
皆様に感謝
これからも続けていきたいと思います